ALUMNI CAREER STORYは、IBPビジネス留学の修了生が歩んできたその後のキャリアを追いながら、今だからこそ語れるIBP留学を振り返っていただくシリーズです。
今回お話を伺ったのは、発電・送電から再生可能エネルギーまで幅広いエネルギー技術を手がけるSiemens Energy株式会社で陸上風力発電事業の営業を担当する山口兼史さん。エネルギー分野で20年以上、風力発電分野で約15年の経験を持ち、現在は日本各地の陸上風力発電プロジェクトに大型風車を供給する仕事に携わっています。
山口さんがIBPに参加したのは2001年。明治大学商学部の2年生を終えたあと1年間休学し、当時のベルビューコミュニティカレッジコース(現:ベルビューカレッジコース)で学び、シアトルの非営利組織でインターンを経験しました。
そんな山口さんに、IBPビジネス留学で得た経験にどう向き合い、現在のキャリアを築いてきたのか教えていただきました!
プロフィール

山口 兼史
| 参加コース | ベルビューコミュニティカレッジコース (現ベルビューカレッジコース) |
| 参加年 | 2001年 |
| 留学当時 | 明治大学商学部2年生を終えて、3年生の1年間を休学して参加 |
| 現職 | Siemens Energy株式会社 風力発電事業 本部 陸上風力 |
| これまでの経歴 | 明治大学商学部卒業後、明電舎の海外営業部で海外向け発電設備の営業に従事。その後は一貫して風力発電分野に携わり、ドイツのSiemens、ノルウェーに本部を置くDNVでの技術コンサルティング、米国General Electric(GE)の風力発電事業を経て、現在はSiemens Energyに勤務 |
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現在の山口さんの仕事について教えてください
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私が担当しているのは、風力発電事業者への風車の提案から契約交渉、受注後の納入までです。一つのプロジェクトに長く関わり、メーカー側の立場から、お客様の風力発電事業を支えています。
海外の製造拠点でつくられた、発電機などを収めるナセルや、羽根となるブレードなどの大型部品を日本へ運び、建設現場で組み立てます。試運転を経て稼働した風車は、その後25年以上にわたり、発電時に化石燃料を燃やすことなく、風の力を電気に変え続けます。
その実現のために、日本のお客様の要望やプロジェクトごとの条件を海外の技術・製造部門へ伝え、どのような風車ならお客様の計画を実現できるかを一緒に考えます。英語を話すこと自体が仕事なのではなく、国や立場の違う人たちを巻き込み、大型風車を日本の建設現場へ届け、お客様への約束を形にすることが私の仕事です。
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国や立場の違う人たちと働くことは、実際にはどのようなものですか?
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海外の人たちと働いていると、同じ会議に出ていたはずなのに、お互いの理解が少しずつ違っていることがあります。「先週決まったと思っていたのに、そういう理解だったのか」と驚くことも。「なぜ分かってもらえないのだろう」と思う一方で、相手から見れば、私の説明が足りないこともあります。それでも翌日には、また同じメンバーで話し合っている。最初は戸惑いましたが、今では違いをすり合わせていく過程も嫌いではありません。
日本だけで完結する仕事より、ドイツ人やインド人、アメリカ人、中国人など、自分とは違う考え方を持つ人たちと働く方が楽しいです。自分の常識が通用せず、「そんな考え方もあるのか」と驚くたびに、まだ知らない世界があると気づかされます。面倒なこともありますが、正直、飽きないのです。
20歳の時の私は、25年後も英語を使い、海外の人たちと働いているとは想像していませんでした。今では英語は目標ではなく、海外の仲間と一緒に仕事を進めるための道具になっています。

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留学を考えるようになったきっかけを教えてください
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きっかけ自体は、まったく立派なものではありません。大学1年生の時に付き合っていた彼女から「長期間、海外へ留学する」と聞いて、「彼女が留学するなら、自分も留学すればいい」と思いついた。それだけでした。人生の大きな決断にしては、ずいぶん単純な理由でしたね。
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その思いつきが、どのように自分自身の目標へ変わったのですか?
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動機は単純でしたが、一度留学を決めてからは、実現するには何をすればいいのかを夢中で調べました。大学2年生の時には、通常は3、4年生が通う駿河台キャンパスまで足を運び、英会話などの授業を受講していました。英検準1級とTOEFL550点を取得し、サークルには入らずに留学準備へ集中しました。日雇い、コンビニ、バーテンダー、農業など、さまざまなアルバイトも経験しましたね。
きっかけをくれた彼女とは、出発前に別れてしまいましたが、「彼女が行くなら自分も行く」から始まった目標が、英語を勉強し、情報を集めるうちに、いつの間にか自分自身の目標へ変わっていきました。
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IBPビジネス留学を選んだ理由を教えてください
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さまざまなアルバイトを経験するなかで、教室で学ぶだけでなく、実際に働くことが自分を成長させると感じていました。そこで惹かれたのが、語学を学ぶだけでなく、海外の組織でインターンシップができるIBPビジネス留学です。当時は海外の橋や発電所などのインフラ開発にも関心があり、英語を学びながら海外で働く経験もできることが決め手になりました。
一方で、留学にはそれなりの費用がかかります。きちんと納得してもらえるよう、留学したい理由、プログラムの内容、必要な費用、帰国後にどう生かすかを資料にまとめ、両親にプレゼンテーションをしました。勢いから始まった留学でしたが、家族に説明するときは、私なりに真剣でしたね。こうして家族の理解と支援を得て、2001年4月、明治大学商学部の3年次を休学し、IBPへ参加しました。
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現地で、コミュニケーションの壁を感じることはありましたか?
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英検準1級とTOEFL550点を取得していたので、アメリカでもそれなりに話せるつもりでした。でも、その自信は3日で吹き飛びました。
ホストマザーは、当時74歳だった一人暮らしのドロシーです。私とは50歳以上も年が離れていましたが、魚のソテーや肉料理など、毎日温かい夕食を用意してくれました。それなのに二人で食卓を囲むと、驚くほど言葉が出てきません。魚を食べても「Delicious」、肉を食べても「Delicious」。おいしいことは本当なのに、そこから話を一つも広げられないのです。目の前の人に料理への感謝を伝え、会話を続けることができませんでした。
沈黙がつらくなり、次第に日本人の友人と過ごす時間が増え、帰宅も遅くなりました。英語が話せないこと以上に、話せない自分を見せるのが恥ずかしく、逃げるように家に帰らなかったのだと思います。
一方、テニスコートではまったく違いました。中学・高校時代から熱中していたテニスなら、英語が完璧でなくても初対面の人に声をかけられたのです。現地の人や学校の教員とプレーし、自分で大会を探してシングルスやダブルスにも出場しました。
ドロシーの前では黙り込み、テニスコートでは知らない人に声をかける。同じ20歳の自分の中に、両方の姿がありました。当時の私に足りなかったのは英単語だけでなく、相手に興味を持ち、気まずくてもその場に居続ける力でした。同時に、好きなことや得意なことが、人の輪に入る勇気をくれることも知りましたね。
今だからこその話ですが、もし今ドロシーに会うことができたなら、「Delicious」だけで会話を終わらせず、毎日食事を用意してくれたことへの感謝と、あの食卓で過ごした時間が25年たった今も心に残っていることを、自分の言葉で伝えたいです。

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現地でのインターン経験についても教えてください
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インターン先は、米国北西部とカナダ西部の経済連携に取り組む、シアトル市内の非営利組織Pacific NorthWest Economic Region(PNWER)です。オフィスは、当時シアトルにあった世界貿易センタービルの中。海外の橋や発電所などのインフラ開発に関心を持っていた私は、「いよいよ国際的な仕事に関われる」と期待していました。
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具体的にはどのような仕事をしていたのですか?
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始まる前は期待に胸を膨らませていたのですが、実際に任されたのは、封筒に資料を入れる事務仕事でした。
日本企業からの電話対応や、手紙・資料の封入と発送、書類整理など、地道な事務作業が中心です。ワシントン州東部のスポケーンで開催されたPNWER Annual Summit(年次総会)にも同行しましたが、担当したのは会場設営や運営準備などの裏方でした。
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そうした海外インターンの経験を、今はどのように振り返っていますか?
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最初の9カ月間の学びを実践する集大成として、何か爪痕を残したいという気持ちはありました。それでも、英語への自信のなさから、与えられた仕事をこなすことで精いっぱいでしたね。
今なら、「ほかにできることはありませんか」と聞いたり、会議に来た人へ自分から話しかけたりできると思います。しかし20歳の私は、仕事を与えてもらうのを待っていました。海外にいるだけで、誰かが自分を成長させてくれるわけではない。そう気づいたのは、もう少し後になってからでした。
それでも、英語で電話を受け、毎日現地の職場へ通い、組織の一員として働いたことは、私にとって初めての経験でした。インターン終了時にいただいた推薦状は、帰国後、三井物産の学生向けインターンシップへ応募する後押しにもなりましたね。
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帰国した時、IBPの1年をどのように受け止めていましたか?
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正直に言うと、留学中に成果を残せたとは思っていませんでした。英語は期待したほど上達せず、ドロシーとの時間から逃げ、インターンシップでも十分に動けなかった。家族、特に祖母から金銭的にも支援してもらっただけに、このまま1年間の思い出で終わらせてよいのか、という気持ちが残りました。
だからこそ、「この経験を無駄にしたくない。これからも英語を使い、海外と関わる仕事を続けよう」と、自分で決めました。留学中の成功よりも、むしろ後悔が帰国後の私を動かしたと今では思います。
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その後悔を、帰国後どのような行動に変えましたか?
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まず、当時まだ珍しかった学生向けインターンシップに再挑戦し、三井物産のプログラムに参加しました。そこで、海外の発電所などの大規模なインフラ事業が、多くの企業や人の協力で実現することを知り、「自分から手を挙げれば、学生でも新しい世界に触れられる」と実感しました。
もう一つは、進路問題交流会「Road Your 道」の企画です。きっかけは、親しい友人4人と鍋を囲んだ時の会話でした。私たちがそれぞれ4年生の友人へ趣旨を説明したところ、共感が友人から友人へと広がり、就職活動を終えた4年生102人が後輩の相談役として協力してくれたんです。明治大学就職課の後援も得て、当日はリバティタワーのリバティホールに約500人の学生が集まりました。私は発起人として、学生実行委員会のリーダーと全体統括を務めました。
留学中は仕事を与えられるのを待っていた私が、帰国後には約500人が集まる場をつくる側になっていました。小さな発想でも、自分から動いて人に話せば、共感してくれる仲間が現れる。一人で抱え込まず、それぞれの力を持ち寄れば、一人ではできないことも形にできる。この時に得た感覚は、今の仕事にもつながっているのかもしれません。
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エネルギー分野をキャリアの軸にしたのはなぜですか?
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三井物産のインターンでは、海外のインフラ事業の中でも、設備をつくり、形あるものとして完成させる仕事に自分が惹かれていることに気づきました。
卒業後は明電舎に入社し、海外営業部で東南アジアのバイオマス発電所や、バハマ、キプロスなどへ納入する発電設備を担当しました。各国へ出張し、異なる国籍の人たちと協力しながら設備を完成させる経験を重ねるうちに、海外の人たちと働くことが自分に合っていると感じるようになりましたね。

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その後は、どのようなキャリアを歩んできたのですか?
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ドイツのSiemens、ノルウェーに本部を置くDNV、米国GEの再生可能エネルギー事業を経て、現在のSiemens Energyに至ります。
転職には、新しい立場から業界を見たいという思いだけでなく、子どもの誕生や成長、仕事と家庭のバランスなど、家族の事情も影響しています。思いどおりにいかなかった転職もありました。それでも、会社や立場が変わっても、エネルギーに関わり、海外の人たちと働くという軸は変わりませんでした。
20歳の頃の私は、将来、ドイツ、ノルウェー、米国にルーツを持つ企業や組織で、さまざまな国の人たちと働くとは想像していませんでした。最初から特定の会社を目標にしていたわけでも、キャリアの道筋を計画していたわけでもありません。英語を使いたい、海外と関わりたい、エネルギーの仕事を続けたい。その時々で自分が大切にしたいものを選び続けた先に、現在の仕事があります。
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25年たった今、IBPビジネス留学で得た一番大きなものは何ですか?
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IBPビジネス留学で得た一番大きなものは、英語力そのものではなく、その後の人生で進む方向だったと思います。
異なる文化や価値観を持つ人たちと試行錯誤しながら、仕事を続けている。その始まりをたどると、IBPで初めて海外の生活と仕事に触れた1年間に行き着きます。
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留学中に残した後悔は、今の働き方にどうつながっていますか?
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うまくできなかった経験は、その後の行動の基準になりました。ドロシーとの食卓から逃げ、インターンでも与えられるのを待っていた。その後悔があったから、帰国後は海外の人に自分から話しかけ、考えの違う相手とも話し合い、与えられるのを待たずに仕事を動かすことを心がけてきました。そうした一つひとつが、留学で残した宿題への、自分なりの答えになったのかもしれません。
もしIBPに参加していなければ、英語を本格的に学ぶことも、海外のインターンシップへ挑戦することもなく、今とはまったく違う仕事や人生を選んでいたと思います。
IBPで過ごした1年間が、自動的に人生を変えたわけではありません。ただ、うまくできなかったことも、その後の行動によって別の意味を持たせることができる。私にとってIBPは、そのことを知り、その後の人生の方向を定める出発点になりました。
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もし20歳の自分に会えたら、何を伝えますか?
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「英語を間違えることより、話さないことを心配した方がいい」と伝えます。上手に話せるようになるまで待たなくていい。気まずくても食卓に座り続ける。分からなければ聞き返す。好きなことがあるなら、それをきっかけに知らない人へ声をかける。私の場合は、テニスが人とつながる入口になりました。

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留学を迷っている方へ、今伝えたいことはありますか?
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留学して、失敗しても大丈夫です。
私は留学中の1年間を、上手に使い切れたとは思っていません。それでも、行かなかった後悔よりは、ずっとよかったと思っています。実際に行かなければ、ドロシーとの沈黙も、テニスコートで知らない人に声をかけた経験も、自分の英語が通じずに落ち込んだこともありませんでした。うまくいかなかったことまで含めて、今の自分をつくっていると思います。
留学を決める理由も、立派でなくてよいと思います。心のどこかに「行ってみたい」という気持ちがあり、行かなかった自分を想像した時に少し引っかかるなら、その気持ちは無視しなくてよいと思います。留学中に完璧な成果を残せなくても、その経験を帰国後の人生でどう生かすかは、自分で選べます。
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これからのキャリアは、どのように描いていますか?
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これからも、風力発電をキャリアの軸にしていきたいと思います。ただ、今は自分が新しい経験を得たり、成果を上げたりすることだけが目標ではありません。これまで培ってきた知識や経験、人とのつながりを生かして日本の風力発電市場へ貢献するとともに、若い同僚や次の世代へ渡していきたいと考えています。成功した話だけでなく、逃げたこと、勘違いしたこと、思うようにいかなかったことも含めて伝える方が、誰かの挑戦を支えることにつながるのではないでしょうか。
これまでの25年が、受け取った機会を自分の人生へつなげる時間だったとすれば、これからの25年は、そこで得たものを、仕事や家庭を通じて誰かへ渡していく時間にしたいと思います。
若い頃は、海外で働く人になりたいと思っていました。
今は、自分が受け取った機会を、誰かに渡せる人になりたいと思っています。
IBPビジネス留学とは
IBPは、大学での学びと海外企業でのビジネスインターンを組み合わせた1年間の留学プログラムです。アメリカ・イギリス・オーストラリア・マレーシアにある名門大学をはじめとする7つの提携大学で9ヶ月間学び、ビジネス英語の習得やレジュメ作成、面接対策に取り組んだ後、現地企業でインターンシップに参加することで、「学ぶ・備える・働く」を1年間かけて段階的に実践していきます。
これまで6,000名以上が参加してきたIBPビジネス留学では、現地企業の一員としてビジネスシーンでの実務を担い、成果によって評価される点が語学留学や交換留学とは異なる特徴です。さらに、帰国後も業種や職種を超えて修了生同士がつながるネットワークが、その後のキャリアや人生を支える財産となります。
留学の価値は、海外で過ごしたという事実だけでなく、そこで誰と関わり、何に挑み、何を乗り越えたかによって生まれます。あらゆるものがAIで代替されていく時代だからこそ、自ら考え、試行錯誤して得た経験には、その人にしか語れない価値がある。IBPビジネス留学の1年間は、そうした経験を一つひとつ積み重ねていくプログラムです。
個別相談は無料で行っていますので、少しでも興味があればぜひお申し込みください。
SEKAIA株式会社(SEKAIA Inc.)について
1989年創業、35年以上の実績を持つ留学・海外研修の企画運営企業です。2025年11月1日に「株式会社ICCコンサルタンツ」より社名を変更いたしました。
【主要プログラム】
- 大学・大学院進学: オーストラリア大学出願センター運営、マレーシア大学進学など。
- 高校留学: オーストラリア・ニュージーランド・カナダへの正規高校留学。
- IBPビジネス留学: ワシントン大学、サンフランシスコ州立大学、シドニー大学、グリフィス大学、ウエストミンスター大学などと提携した、1年間のビジネス留学プログラム。
- AIP(エアライン留学): 航空業界を目指すための専門留学プログラム。
- 海外から日本への留学: 日本でのキャリア構築の為、海外学生・社会人向けに「Internship in Japan」を運営。
【認定・加盟】 JAOS(海外留学協議会)正会員 / 東京都知事登録旅行業第2-8694号